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村上春樹は翻訳を前提に小説を書いているのか?

  • Writer: hanakan860
    hanakan860
  • Sep 20, 2022
  • 4 min read

『村上さんのところ』で、


『「村上春樹は翻訳されることを前提に小説を書いている」

と言われているのを聞いたことがありますが、本当でしょうか?』


という質問があり、それに対して村上さんが


「そんなことは考えたこともない」


が答えていました。


これについて、考察してみます。



私は評論家でも何でもないのですが・・・


これも『村上さんのところ』で、村上さんは、


「読者は僕の小説をどのように解釈してもいい。

それは全部正しい」


と言っていたので、その言葉を信じて、

思うままを書かせていただきます。



話を戻します。


村上さんは、翻訳を前提に小説を書いているのか?



この場合の翻訳は、「英語への翻訳」と定義します。


その質疑応答では、どこのどの部分がということは

言及されていませんでしたが、

思い当たるところはあります。


例えば、受話器を取って(スマホを手に取って)、

ダイヤルしても、呼び出し音が鳴らない場合。



ree


日本人なら、「電話がつながらない」と言いますよね。


しかし村上さんは、小説の中で、

「電話は死んでいる」という

表現をしています。


『ダンス・ダンス・ダンス』に出てきましたね!


あと、ほかでも見たことがあります。


電話が死んでいるというのは、

the phone is deadという英語表現の和訳です。


英語スピーカーは、電話がつながらないとき、

電話が死んでいるって言うんですね。


でも、日本人はそんな言い方しないし、

日本の小説で電話がつながらなくて、

「この電話は死んでる」なんて言い回しは出てきません。


でも、村上さんは出す。



もう1つ挙げると、

「【翻訳上達塾】英文に()カッコが出てきたときの対処法」

に記載した()、村上さんはまさに英語スピーカーがつける

そのやり方で、つけています。


『騎士団長殺し』で、その表現をよく目にしました。



ree


ということで、「翻訳を前提に小説を書いている」

という仮説が出てきたのだと思います。



村上さんが著作を出すと、必ず英語に翻訳されて出版されます。


なので、「翻訳されることを前提に小説を書いている」という考えは、

一理あります。


でも、その言い方って、なんか毒ありますよね。


村上さんは日本の読者に向けてではなく、

翻訳というワンクッションを置いた

英語リーダーを念頭に置いて

小説を書いてるんだろう!みたいな。


お高くとまってるな!みたいな。



これについて、私の考えを述べます。


村上さんは、ご自身で言っておられる通り、

翻訳されることを前提に書いてなんていないと思います。


村上さんは、言語の境界がなくなってしまっている

のではないかと思うのです。


私も同じような経験があるからです。



例えば、


There are red, blue, yellow and orange flowers.


という英文があるとします。



ree


直訳すると、


「赤、青、黄色、そしてオレンジの花があります。」


となります。


しかし私は、基本的に、最後の「そして」は

訳出していませんでした。


列記するときの最後のワードに「そして」と付けるのは、

英語の決まりであり、

日本語では付けないからです。


「赤、青、黄色、そしてオレンジの花があります。」

「赤、青、黄色、オレンジの花があります。」


2番目のほうが、自然ですよね。


敢えて「そして」を入れる必要はありません。


しかし、英語を読んでいると、

最後の単語の前のandに頻繁に出くわします。


そのたびにandを取りました。


毎日毎日、取り続けました。


そのうち、

最後に「そして」ってあっても、

別に変じゃないんじゃないか?

と思うようになりました。


最初の頃に感じた違和感が消えたのです。


なので、最近はandを訳出しています。



この私の体験と、村上さんの小説とは通じるところが

あるのではないかと思うのです。


つまり、最初はphoneがdeadなんておかしいだろう、

と思っていたけれど、

だんだん、「別に変じゃないかな?」と

考えが変わってきて、自然に使うようになったということです。


通常、我々は日本語スピーカーであり、英語圏の人々は

英語スピーカーです。


日本人は毎日日本語を読む。


英語圏の人々は毎日英語を読む。


それぞれ、全く性質を異にする2つの別々の言語を読みます。



ree


しかし、日本人なのに英語をたくさん読んでいる、

もしくは英語圏の人なのに日本語をたくさん読んでいると、

それらを硬く隔てていた境界が弱まって、

どちらにも行き来できるようになる。


そういうことが起きるのです。


日本語スピーカー、英語スピーカーではなく、

「日本語&英語スピーカー」

とでも呼ぶような状態になるわけです。


この場合、本人に自覚はありません。


自分の言語の中に、自然にとどまっていると考えます。


しかし、日本語しか読んでいない日本語スピーカーが読むと、

違和感を覚えます。


その結果、「翻訳されることを前提に小説を書いているんだろう」

という糾弾につながってしまうのです。



というわけで、私は、村上さんを100%支持します。


村上さんは、翻訳されることを前提に小説を書いていません。


私たち日本人の読者のために、心を込めて、

小説を書いてくれています。


ちなみに、私は『村上さんのところ』で、

質問を送って、回答をもらいました!


優しくて、私を勇気づけてくれるあたたかい文章で、

何かつらいことがあるたびに、

私はその文章を読み返しています。

 
 

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